(2/3)

 闇の中、わたしを抱えたままサクヤさんは疾走する。
 あまりのスピードに、正面を向いたまま目を開けているのは困難だった。どのくらいの速度が出ているのかは分からないけど、ヘルメットを被らずにバイクへ乗ったらこんな感じなんだろうか。
 風景は濃紺と黒に滲み、サクヤさんとわたしの髪が後ろにたなびいている。風を切る音だけがわたし達の世界を支配していた。
 と、そこにノゾミちゃんの声が割り込んだ。
「このまま分霊の手の届かない場所まで逃れるのが良さそうね。傀儡は融通の利かない身、あの子がそう簡単にこちらを追ってこられるとは思えないもの」
「そうかい。なら、羽様のお屋敷にでも向かおうかねぇ」
 サクヤさんはわたしを抱いて走っていることを苦にした風もなく、いつもの口調でそれに答えた。わたしは下手に口を開くと舌を噛んでしまいそうだったので、素直に二人の言葉に頷いた。
 山道へ入り、昼間に辿った道筋を徒歩でサクヤさんは進んでいく。でこぼこの舗装されていない道を走るサクヤさんは、車よりもよっぽど速いようだった。これならわざわざ高い車を買う必要はないんじゃないかと思ったけど、良く考えてみるとそんな姿を他人に見られたら色々と困りそうだ。それに、荷物を運ぶのにも車があれば便利だし。
 そんなことをわたしが考えていると、不意にサクヤさんが呟いた。
「あそこに誰かいるね」
 そしてサクヤさんは走るスピードを緩めた。
 月は南の空高く輝き、夜明けはまだ遠い。わたしはサクヤさんが言った方へ目を向けた。
「あれは……もしかして、烏月さん?」
「そうみたいだね。さて……」
 道にうつぶせに倒れていたのは、いつもの黒い制服を着た烏月さんだった。その傍らには、淡い光を受けて鈍い輝きを放つ刃――維斗。
 烏月さんの倒れている手前でサクヤさんは立ち止まり、わたしを地面に降ろした。
「烏月さんっ」
 けれども、わたしが烏月さんの元へ駆け寄ろうとするのをサクヤさんは引き留めた。
「よしな、桂。何かの罠かもしれないよ」
「でも……」
「付近に鬼の気配はないわ。そこに倒れている鬼切り役自身を除いては、だけれども」
 わたしの胸元から声が聞こえた。携帯に結わえられた青珠に身を宿すノゾミちゃんの声だ。
「そいつぁ結構だけど、まあ用心に越したことはないからね」
 ノゾミちゃんの皮肉にそのまま頷いて、サクヤさんはわたしをその場に残すと烏月さんへ慎重に近づいた。そしてその顔に自分の顔を近づける。
「とりあえず、息はあるね。外傷も……特には見あたらない」
 その言葉に、わたしは胸をなで下ろした。烏月さんが鬼にやられてしまったのではないかと気が気ではなかったから。
 サクヤさんが手の甲で烏月さんの頬を軽く叩いたものの、反応は見られない。やっぱり気を失っているようだった。
「それにしても、烏月がこんな目に遭うってのはいったい何なんだろうね。ただの鬼だとしたら、倒れた烏月をこのままにしとくってのも解せないね」
「あ……。もしかしたら、ケイくんなのかも。あんまり悪い人には見えなかったし」
 わたしの言葉に、サクヤさんは眉を上げた。
「ケイ? あんた、自分がこんなことをやったってのかい?」
「そうじゃなくって、わたしと同じ名前の男の子」
 そう言って、わたしはケイくんの風体と烏月さんとの関わりを簡単に説明した。すると、サクヤさんは目を伏せ、ため息をついた。
「……なるほどね。あの子なら、烏月にとどめを刺したりはしないだろうさ」
「あれ? サクヤさん、お知り合い?」
 尋ねると、サクヤさんは小さく頷いた。心持ちその表情が翳っているようにも見えたけど。
「ちょっとね。まあ、色々と」
 それならどうしてケイくんの名前を知らなかったんだろうと思ったけど、何か事情があるのかもしれない。
「それより、この鬼切り役の娘をどうするつもりなの?」
 ノゾミちゃんが問いかけてくる。
「あたしとしちゃ、このままほったらかして行くことを提案したいね」
 サクヤさんが肩を竦めてとんでもないことを言い出した。
「だ、駄目だよっ。いくら烏月さんでも、気絶してたら鬼に勝てないよ。一緒に連れて行こう?」
「桂。あんた、分かってるのかい? 烏月が目を覚ましたら、間違いなくノゾミのことで揉めるよ。面倒なことになるだろうさ」
 サクヤさんの指摘に、わたしは烏月さんとの約束を思い出した。結びなおした縁のことを。
「そ、それは……。わたしが何とか説得するから」
 サクヤさんは疑わしい目つきでわたしを見た。
「本当にそんなことがあんたにできるのかい? 相手はあの石頭の烏月だよ?」
「うっ……」
 思わず口ごもったわたしだったけど、胸元からノゾミちゃんの声が聞こえた。
「桂に無理なのだったら、私がなんとかするわ。鬼切り役なら、味方に付けて損はないでしょう?」
 その言葉にサクヤさんは驚いたようだった。
「……まあ、あんた達がそう言うならあたしは構わないけどさ」
 諦めたように言って、サクヤさんは烏月さんの体を抱え上げる。
「よっと。……何だい、若い娘だってのにクソ重いったらありゃしないよ」
 ぶつぶつ文句を付けながら、まるでズダ袋かなにかのように無造作に肩へ烏月さんを担いだ。
「サクヤさん! 烏月さんは気を失ってるんだから、乱暴にしちゃ駄目」
 わたしが文句を付けると、
「いいんだよ。烏月は普段から鍛えてるんだから、ちっとばかし無造作に扱っても壊れやしないさ」
 とサクヤさんは滅茶苦茶な返事をした。
「それより桂、あんたはそこに転がってる烏月の刀を拾っときな。鞘はそっちに転がってるから」
「あ、うん」
 少し離れていた場所に落ちていた鞘を拾って、わたしは維斗のそばまで近づいた。
「ねえ、サクヤさん。鞘に収める前に刃を拭った方がいいかな?」
 何しろ地面に転がっているのだ。砂利が付いたまま鞘に収めると、刃に傷が付いてしまうかもしれない。
「そんなことまで面倒見切れやしないよ。烏月が後で手入れすればいいだろうさ。
 それより、あんたはそそっかしいんだから指を落とさないように気をつけるんだよ。そいつは本物の真剣なんだからね」
「わ、分かった」
 わたしは維斗の峰の部分を恐る恐る摘んで少し持ち上げ、鞘の中に切っ先を差し込んだ。何だか色々間違ってる気がするけど、時代劇みたいに格好良くやろうとしたらサクヤさんの言う通り指を切ってしまうのがオチだと思う。
 そのまま慎重に刀を鞘へ押し込み、鐔元にある金具に鯉口をはめ込んだ。カチリという感触がして、鞘が固定される。わたしは鞘に無事収まった維斗を抱え上げた。
「わ、結構重い」
「鉄の塊なのだから、当たり前でしょう? それより、その刀をあまり私に近づけないでくれるかしら」
 ノゾミちゃんの抗議の声が聞こえた。
「あっと、ごめんねノゾミちゃん」
 胸元から離すよう維斗を持ち変える。伏魔の太刀と呼ばれるだけあって、妖であるノゾミちゃんにはあまり気分の良いものではないのだろう。
「落っことさないようにちゃんと持ってるんだよ。それじゃ、またひとっ走りといこうかね」
 サクヤさんは左肩に烏月さんを担いたまま、右手でわたしを抱え上げた。そして再び、夜の帳の中を走り始める。
 その場所から羽様のお屋敷までは、サクヤさんの足でほんの十分ほどしかかからなかった。

 屋内に入った後、サクヤさんは烏月さんの懐から勝手に呪符を取り出し、屋敷のあちこちに貼り付けた。それでひとまずは安心とのことだった。
 わたしはサクヤさんとノゾミちゃんの二人に自分の血を提供しようかと申し出たけれど、それをノゾミちゃんは却下した。一晩であまりに多くの血を失いすぎたから、これ以上は命に関わると言うのだ。
 確かにノゾミちゃんはわたしの血を吸った二人のうちの一人だから、説得力はある。わたし自身は今一つ実感が湧かないものの、色々なことがあったせいもあって確かに疲労は溜まっていた。
 そういうわけで、わたしは少し休ませてもらうことにした。幸い、お屋敷の中は一部綺麗に片付いていて、睡眠を取るのに不都合はなかった。多分、ここに住み着いていたというあの女の子が掃除してくれたんだろう。
 意識を失ったままの烏月さんの隣にお布団を敷いて、そこに潜り込む。静かに眠る烏月さんの横顔は綺麗で、ちょっとどきどきしてしまうけど。
 明日になったら少しは体力が戻っているといいな、と思う。わたしは役立たずだから、せめて二人に血を提供するぐらいのことはしたい。
 目を閉じると、眠りはすぐに訪れた。夢も見ないくらい深い眠りだった。

 そして翌日。
「桂さん、あなたという人は――」
 烏月さんは案の定、わたしの行動がお気に召さなかったようだ。怒りを面に出すことはないものの、その瞳にはわたしに対しての憤り、そして失望が浮かんでいる。
 烏月さんの体には特にダメージはないようだった。わたし達の事情を説明する前に聞いたところ、想像通りケイくんと対決して倒されてしまったとのことだ。そうしてみると、ケイくんはやっぱり悪い人じゃないのかもしれない。
 ……と、そんなことを考えている場合じゃなかった。
「えっとね、烏月さん。ノゾミちゃんにも色々と事情があるんだよ」
 そう語りかけるも、烏月さんの視線は揺るがない。
 サクヤさんは「そら見たことか」と言いたげな表情で部屋の柱に寄りかかっている。こちらに加勢してくれることはなさそうだった。わたしの決めたことに反対はしないものの、積極的に賛成もできないと言っていたから仕方がない。
 ちなみに、陽が昇った後でサクヤさんはさかき旅館へ戻り、荷物一式を羽様のお屋敷まで運んでくれた。だからわたしが今着ているものも旅館の浴衣ではなく、セーラーカラーの私服だ。
「桂さん。あなたは昨日、後悔することになっても構わないと言ったね? 仮に私と桂さんの意見が対立することになるかもしれなくても、仮定の話で仲違いをしたくないと」
「う、うん……」
 おずおずと頷く。確かにそれはわたしの言葉だ。烏月さんとの切れた縁を結びなおしたいと言ったときの。
「けれども一日を置かずして、私と桂さんは対立することとなった。結局、先送りなど無意味だった。あなたは鬼に関わり、鬼の側に与する者。そして私は――鬼を切る者だから。その運命を変えることなど、できはしなかったんだ」
 あくまで冷静な声で、けれどもそこに静かな怒りを込めて烏月さんは言った。
 そしてわたしは悟った。わたしの行動がどれだけ彼女を傷付てしまったのかを。
「烏月さん……」
 そのとき、わたしが手に持っている青珠に宿ったノゾミちゃんが笑い声を上げた。
「ふふふっ。鬼切り役ともあろうものが、まるで子供のように拗ねているだなんておかしなものね」
 その言葉が烏月さんの眉をひそめさせる。
「何が、言いたい?」
「ちょ、ちょっと、ノゾミちゃんっ」
 わたしはたしなめようとしたが、ノゾミちゃんの言葉は止まらない。
「だって、そうでしょう? あなたは桂のことを恐れる必要などないのだもの。ただの太平楽で脳天気なだけの小娘なんて、鬼切り役のあなたにとっては障害にすらならないわ」
「うう……」
 事実だけど、そこまで言われてしまうとちょっと落ち込むわたし。
「あなたはただ、自分と立場を異にしたのが気に入らず、桂に当たっているだけ。まるで、恋しい相手に袖にされたかのように。これが滑稽でなくてなんだというの?」
 烏月さんはノゾミちゃんの宿る青珠を睨みつけ、しかし挑発には乗らなかった。
「勘違いするな。私はただ、私自身の愚かしさに呆れているだけだ。鬼切りと関われば、いずれ人は鬼切りを恐れ、憎むようになる。鬼と変じた親しい者、あるいはその人自身を切ることになるのだから。それを忘れ、ひとときの平穏を得ようとした私が馬鹿だったというだけだ。桂さんに怒りを向けている訳じゃない」
 わたしは烏月さんの誤りに気付いた。だから、それを口にする。
「違うよ、烏月さん」
 烏月さんは顔を上げてわたしを見た。その瞳には、烏月さん自身が否定したはずの怒りがほのかに見える。だけど、違うのはそれじゃない。
「何が違うと? 私がこの鬼を切ろうとすれば、あなたはそれを庇おうと――」
 わたしはその言葉を遮るように言った。
「もしわたしが切られることになっても、烏月さんを嫌ったりしないから」
 烏月さんは絶句する。サクヤさんが、やれやれとばかりに肩を竦めた。
「桂さん、あなたは一体……」
「正しいことって、きっと一つだけじゃないんだよ。烏月さんがノゾミちゃんを切ろうとするのも、人を鬼から守るという意味では正しいんだと思う。
 だけどわたしは、ノゾミちゃんにも――人でないものにも心があるって知ったから、問答無用で切っちゃうのは賛成できないよ。烏月さんと違う立場になっちゃうけど、自分が間違ってるとは思わない」
 わたしが言葉を切ると、烏月さんは苦しげな表情のまま強い口調で言った。
「ならば、私を憎めばいい! 私はこの鏡の妖を切り、邪魔立てするならばあなたに手をかけることも厭わない。桂さんにとって、私は敵のはずだ」
 わたしはかぶりを振る。
「そんなの無理だよ。だって、わたしは烏月さんのことが好きだから」
 それを聞いた烏月さんの瞳が動揺に揺れる。
「烏月、これが羽藤なんだよ。あんた達のような鬼切りとは全く違う、羽藤の強さなんだ。あの真弓でさえ、これには敵わなかったんだからね」
 サクヤさんが腕を組んだまま、からかうような口調で烏月さんに言った。
「真弓って、お母さんのこと?」
 わたしが尋ねると、サクヤさんは頷いた。
「ああ、そうだよ。桂、あんたには教えてなかったけど、真弓の旧姓は『千羽』なのさ」
「えっ? センバって、烏月さんと一緒の?」
 びっくりするわたし。
「そう。千羽真弓、当代最強と呼ばれた千羽党の鬼切り役だよ。結婚してからはそっちの世界とは縁を切っちまったから、あんたが知らなくて当然だけどね」
 全然知らなかった。わたしは翻訳とか通訳の仕事をしていた姿しか見てないから、お母さんにそんな凄い過去があるだなんて思いもよらなかった。
 でも、そういうことなら、もしかして烏月さんとわたしは血の繋がりがあるんじゃないだろうか。だとすると少し嬉しい。わたしの血縁に当たる人はみんな亡くなっていて、天涯孤独の身なんだと思っていたから。
 わたしはそんなお気楽なことを考えていたけれど、烏月さんにとってはそれどころではなかったようだった。
「……桂さんが私を憎まないというのなら、私は敵意を持たない相手に刃を向けなければならなくなる。あなたはまた、私にその重荷を背負えと言うのか?」
 烏月さんは右手で自分の左肩を掴んでいる。わたしは気付いた。そうしなければ、烏月さんは自分の体の震えを抑えられないのだと。
「烏月さん……」
 わたしは烏月さんにかけるべき言葉が見つからなかった。
 強く、凛々しく、いつだってその信念は揺らがない――そんな風に烏月さんのことを見ていたわたしだけど、烏月さんの心にも迷いはあるのは当然だ。だって、烏月さんはわたしとそう年齢の変わらない女の子なんだから。
 わたしが烏月さんを想う気持ちが、烏月さんを苦しめている。どうすればいいんだろう。わたしには分からなかった。サクヤさんも難しい表情をしている。
 と、そこで手に持っていた携帯ストラップの青珠から、ぼんやりとした姿が浮かび上がった。それはノゾミちゃんの現身だった。
 薄暗く、結界の張られた室内ではあっても、今はまだ真昼だ。妖であるノゾミちゃんにとっては、かなりの負担になるはず。けれど、わたしが制止する暇もなく、ノゾミちゃんは実体化してわたしの左に立った。
「鬼切り役、確か烏月と言ったわね。あなたが桂のことで苦しんでいるというのなら、私がその重荷を取り払ってあげるわよ」
 烏月さんは答えず、ノゾミちゃんを睨みつけている。ノゾミちゃんは口元にうっすらと笑みを浮かべ、そして言葉を紡いだ。
「良月を取り戻すことに手を貸してくれるのなら、事が終わった後、あなたに私自身の魂を差し出すわ。煮るなり焼くなり、好きになさいな。それなら、桂に刃を向ける必要もなくなるでしょう?」
 わたしはノゾミちゃんの申し出に驚き、慌てた。ノゾミちゃんが烏月さんのことを自分でなんとかすると言っていたのは、このことだったのか。
「だ、駄目だよノゾミちゃん! それじゃ、せっかく――」
 止めようとしたわたしに、ノゾミちゃんは首を横に振った。
「いいのよ、桂。私はもう充分に生きたわ。人の身では決して味わえないこともたくさん経験してきたのだもの。私をずっと謀ってきた分霊に一矢報いることができれば、もう思い残すこともないわ。
 それに何より、今の私は自由なのよ。誰にも操られることなく、私は私の在り方を自分で選びたいの」
「ノゾミちゃん……」
 その表情はいつになく穏やかだった。だからこそ、その決意の固さが伝わってくる。
 ノゾミちゃんはわたしから烏月さんへ視線を戻し、再び問いかけた。
「あなたにとっても悪い取引ではないはずよ。協力するのか、桂と相対するのか、お選びなさいな」
「……お前が嘘をついていないという証拠はどこにある?」
 心理的に追いつめられていても、烏月さんは冷静さを失っていない。サクヤさんが、「ほんっとに石頭だねえ」と呆れたように呟く。
「もちろん証拠だなんてものはないわ。私が言えるのは、それを違えれば桂が傷付くことになるから、ということぐらいのものね」
 烏月さんの表情が怪訝なものになった。
「お前は桂さんの血を狙っていた鬼だ。桂さんを庇い立てする理由がない。そんな言葉を信じろと?」
 それを聞いて、ノゾミちゃんはおかしそうに笑い出した。
「ふふふふっ。よりにもよって、あなたがそんなことを尋ねるのかしら。
 どうして私が桂を傷付けることを厭うのか、それを一番理解できるのは他ならぬあなたでしょう? 疎まれて生きてきた者にとって、桂はあまりにまぶしすぎるのだもの。今のあなたのように、時として直視できなくなるほどにね。
 私とあなたは、その点で同じなのよ」
 烏月さんが苦々しい表情で口元を引き結び、そして頷いた。
「……いいだろう。完全に信用したわけではないが、今はその提案を受け入れよう。ただし、桂さんの信頼を裏切るようなことをすれば、問答無用で切る」
「まったく、ハシラの継ぎ手と同じようなことを言うのね」
 ノゾミちゃんは軽く肩を竦めた。
「やれやれ、とりあえず話は纏まったってわけかい」
 サクヤさんがそう言って柱から身を離すと、ノゾミちゃんがサクヤさんに視線を向けた。
「いいえ、まだよ。観月の娘、あなたの心積もりを聞いてないわ」
「あたしは別に、どっちでも構やしないよ。確かに、恨みがないって訳じゃないが――」
「観月の民が滅びるよう仕向けたのが私だと知っても?」
 ノゾミちゃんが言ったその言葉で、サクヤさんが凍り付いた。
「……何だって?」
 暗い瞳で問い返すサクヤさんに、ノゾミちゃんは答える。
「昔、私が若杉の者に封じられたとき、私は反対にその陰陽師を言霊で縛ったのよ。鬼切りならば、観月の民も切らなくては、と」
 わたしも思い出した。ノゾミちゃんが確かに、主を封じるときに力を貸したという観月の民に対して、若杉の陰陽師を敵対させるように術を使っていたことを。それがサクヤさんの一族のことを指していることは知らなかったけど。
「じゃあ、あんたが……」
 それを今ここでサクヤさんに打ち明けるのは賢い方法とは言えない。それはわたしにも分かる。ノゾミちゃんが黙っていれば、多分誰もそれを咎めようとはしなかっただろう。
 それでもノゾミちゃんは口をつぐんでいることを是としなかった。良くも悪くも、ノゾミちゃんはひたすら自分に正直な子なのだ。
「あんたが余計なことをしなけりゃ、観月の民は殺されずにすんだってのかいっ?」
 サクヤさんの目尻が吊り上がり、その瞳孔が縦に細められていく。サクヤさんが激怒しているのが分かった。
 わたしが止めに入ろうとしたとき、横槍が入った。
「それが、そうとばかりは言えないのでして」
 後ろから聞こえてきた声に振り返ると、そこにはショートカットの小柄な女の子が立っていた。
「あなたは、昨日の……」
「葛様! どうしてこちらに……?」
 わたしと同時に烏月さんが驚きの声を上げた。
「あれ? 烏月さん、この子とお知り合い?」
 しかも、『様』付けということは、この女の子はもしかしてお嬢様?
 わたしの疑問には、その当人が答えてくれた。
「はい、わたしは烏月さんの知り合いですよ。
 確か桂おねーさん、でしたね? 自己紹介が遅れてすみません。わたしの名は若杉葛と申します」
「若杉?」
 それってまさか……。
「ええ。お察しの通り、鬼切部の頭である若杉です。しかも総帥である祖父の跡取りとして、いずれ鬼切りを統べる立場にあります。
 ……もっとも、それが嫌でこうして逃げていたのでして」
 葛ちゃんはそんな境遇など感じさせない、明るい表情で笑う。
 サクヤさんは葛ちゃんの態度に焦れたのか、声を荒らげた。
「そんなことより、さっきの言葉はどういう意味なんだい?」
 葛ちゃんはサクヤさんの方に向き直ると、表情を改めた。
「この鬼が陰陽師に仕掛けた言霊の存在を、若杉の上の者は知っていたのですよ」
「あら……」
 ノゾミちゃんがつまらなそうに呟く。
「若杉にとって、観月の民はそれ以前から目障りだったのです。だからこそ若杉はその呪縛を解かず、放置しました。仮に観月の民に手をかけたことを糾弾されることがあったとしても、言霊に操られてのことだと言い逃れができますし。これを知っているのは若杉の中でもごく一部の者だけですけど。
 ですから、もし彼女がその呪縛を施さなかったとしても、おそらく若杉はいずれ観月の民を潰しにかかっただろう、というわけなのでして。もっとも――」
 葛ちゃんはそこで一旦言葉を切ると、ノゾミちゃんに冷ややかな視線を向けた。
「だからと言ってもちろん、この鬼に咎がないということにはなりませんけど」
 ノゾミちゃんの弁護をする形にはなっているけど、葛ちゃんは決してノゾミちゃんを信じてはいないようだった。幼く見えても、この子は鬼切部としての役割を忘れてはいないのだろう。それが少し悲しく感じられるのは何故だろうか。
「当然よ。私は観月の民に意趣返しをするつもりだったのだから、この娘に庇ってもらう謂われなどないもの」
 葛ちゃんの視線を受け、ノゾミちゃんは傲岸に胸を張って言い返す。
 サクヤさんはそんな二人を睨みつけた後、大きくため息をついた。
「……分かったよ。観月の民が主の封じに加わったのは事実だからね。ノゾミがあたしらに敵意を持つのは不思議なことじゃない。それに、どのみち何百年も昔の話だろう? 腹が立たないと言ったら嘘になるけど、もう終わったことなんだ。今更ほじくり返しても仕方ないさ」
 そして、どっかと畳の上に腰を下ろし、あぐらをかく。
「まあ、言わんでもいいことを言っちまうそのまっすぐな性格は悪かぁないね」
 サクヤさんは口の端を吊り上げた。少し無理をしているかもしれないけど、それはいつものサクヤさんらしい言葉だった。
「別に、まっすぐなどではないわ。私はただ、誤魔化すのが嫌いなだけよ」
 そう言って、ぷいっと顔を背けるノゾミちゃん。それがまっすぐってことなんじゃないかな、と突っ込むのはやめておく。ノゾミちゃんはまっすぐだけど、素直じゃないから。
「……そちらの問題は片付きましたか?」
 そう問いかけた烏月さんの言い回しが気に入らなかったのか、サクヤさんは片目を眇めて烏月さんに噛みついた。
「なんだい、その言いぐさは。あんただって人のこたぁ言えないだろ。さっきまでピーピー泣き喚いていたんだろうに」
「別に、私は泣いてなどおりませんが。サクヤさんは視力が低下されたのですか?」
「そりゃ、あたしが老眼だとでも言いたいのかい?」
「なるほど。理解力はまだおありのようだ」
 言い合いを始めるサクヤさんと烏月さん。本当にこの二人は仲が悪い。
「もうっ、二人とも喧嘩は駄目だよ」
 わたしが仲裁に入ると、サクヤさんは「へんっ」っと言ってそっぽを向いた。ノゾミちゃんと大差ない気がする。
 烏月さんはそんなサクヤさんを放置し、葛ちゃんに尋ねた。
「それよりも葛様、どうしてこの場所に? それに、桂さん達ともお知り合いなのですか?」
「ええと、それはですね……」
 わたしも部屋の入り口に立ったままの葛ちゃんへ声をかけた。
「葛ちゃんも中に入って座ったら?」
「そうですか。それでは失礼いたしまして……」
 葛ちゃんは部屋に入り、わたしの右隣に座った。と、そのあとを小さな白狐がついてきて、ちょこんと葛ちゃんの脇に腰を下ろす。
「あ、この狐は尾花と申します。わたしの相棒です」
「そうなんだ。尾花ちゃん、よろしくね」
 わたしが挨拶するも、全く意に介する様子もなく、尾花ちゃんはある方向をじっと見つめていた。その先にいるのは――ノゾミちゃんだった。
「そいつは、役行者の……」
 ノゾミちゃんも表情を険しくし、尾花ちゃんを睨んでいる。何か二人(?)の間には因縁があるんだろうか。
「桂、私は現身を保つのに疲れたから、青珠の中で休ませてもらうわ」
「あ、うん。それがいいよ」
 ノゾミちゃんは言うが早いか、わたしの返事も待たず青い宝玉の中へと姿を消した。もしかしたら、尾花ちゃんが苦手なんだろうか。
「――それで、葛様?」
「おっと、失礼しました烏月さん。実はですね、わたしはしばらくの間このお屋敷に間借りさせていただいたんです。いえ、てっきり空き家なのだと思っておりまして」
 烏月さんに促されて、葛ちゃんが話し始める。
「ところが昨日、こちらの桂おねーさんとサクヤさんがお屋敷を訪ねてこられた折りに、わたしと鉢合わせになったのですよ。幸い、桂おねーさんはわたしの不法侵入を寛大にも許してくださり、わたしは早々に立ち去る予定だったのですが……」
 葛ちゃんはそこで尾花ちゃんに目を向けた。
「尾花がですね、この場所を離れたがらなかったんです。いつもは聞き分けのいい子なんですけど。それで、お屋敷の近くで様子を見ていたというわけなのです」
 サクヤさんが肩を竦める。
「ま、あたしは匂いであんたが近くにいることは気付いていたけどね」
「たはは。一応水浴びはしたんですけど、やっぱり観月の方の鼻は誤魔化せませんでしたか」
 葛ちゃんは苦笑した。
「まあ、それはともかく。お話はあらかた聞かせていただきました。立ち聞きは無礼なれど、緊急の場合ですからどうかご容赦ください」
「それは全然構わないけど……」
 頭を下げる葛ちゃんにわたしはそう声をかけた。
「しかし葛様、早急にこの地を離れられた方がよろしいのでは? 分霊との戦いに葛様を巻き込む訳にはいきません」
 烏月さんがそう進言すると、葛ちゃんは顔を左右に振った。
「いえ。このお屋敷を離れると、場合によってはわたしが鬼に魅入られる可能性もありますから。もしかしたら、尾花はそれが分かっていたからわたしを引き留めたのかもしれませんし」
 青珠の中から、「鬼神なのだから……」とか何とか小さな呟き声が聞こえたけれど、よく聞き取れなかった。
「それよりも、ですね。実は、わたしに策がありまして」
 にっこりと笑って、葛ちゃんはそう続けた。
「策?」
 わたしが問い返すと、葛ちゃんは頷いた。
「はい。鏡に宿っているという分霊を、そこから追い出す方法ですよ」

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