会長のおしごと
2005-07-03 by Manuke

「――以上が創立者祭での予算配分の概略です。詳細に関しては、お手元の資料をご覧下さい」
 会計の松下が報告を終え、着席する。
「おおむね問題はなさそうだが……展示に使うベニヤ板が少し足りなくないか?」
 資料をめくりながら私が尋ねると、副会長の矢沢がそれに答えてくれた。
「ベニヤ板は、前年に使われたものが倉庫に残っているんだ」
「ああ、なるほど」
 頷いたところで、書記の佐藤がおずおずと切り出した。
「あの……。去年の創立者祭では、回ってきた板の中に割れていて使えないのがあったんです。そういうのが今度もあると、困るかなって……」
「うん、それは問題だな。それじゃ、この定例会が終わったら倉庫へ確認に行くことにしよう。場合によっては予算を再配分しなければならないかもしれない」
「はい」
「分かりました」
 私の意見に全員が同意してくれる。
 生徒会長の仕事というのは、就任前に考えていたほどには難しいものではなかった。前任者達の経験が残されているし、何より生徒会役員の皆が適時フォローしてくれるのだから。
 けれども、想像していた以上に仕事の量が多い。そのせいで、会長の座に就いてから毎日が忙しい限りだ。
「創立者祭に関してはこんなところか。次の議題に移ろう」
 私が促すと、庶務の伊藤がノートを読み上げる。
「ええと、最後の議題は風紀委員会からの要請です。不良生徒の素行に関して、何らかの処分を行って欲しいとのことですね」
 思わず、私は頭痛を覚えた。この学校の生徒は折り目正しい奴が多く、不良と目される輩はそう多くはない。
「それはもしかして、三年の岡崎と春原のことか?」
 尋ねると、伊藤が頷いた。
「そうです。坂上さんのお知り合い?」
「ああ。そう悪い奴でもないぞ――少なくとも岡崎の方は。春原はちょっと救いがたいほどの馬鹿だが」
 私の言葉に、矢沢が眉をひそめた。
「確か先日、停学になった奴らだろう? 坂上、そんな連中と付き合うのは感心しないな」
 この男は有能だが、どこか他人を見下したところがある。私は矢沢が苦手だった。
「そう決めつけるものじゃない。停学のことだって、春原がふざけたつもりだったのが大事になって、岡崎はその巻き添えを食っただけだと聞いている」
 そこで伊藤が私に向かって言った。
「風紀委員会からの要請は、その停学期間中のことなんですよ。何でも、岡崎先輩と春原先輩が墓地で何者かと乱闘していたのを目撃した人がいるとか」
「……それは初耳だな」
「しかも、どうやらその場に当校の女生徒が一人居合わせたらしくて。風紀委員会はそのことも危惧しているようですね」
「そうか……」
 確かに、それが事実なら厄介かもしれない。乱闘の場にいたという女生徒のことも心配だった――かつての私のような者がそうそういるとも思えないし。
「会長は岡崎先輩達と親しいんですよね? でしたら、ご本人からお話を伺ってみたらどうでしょう。案外、噂に尾ひれが付いて大きくなっただけかもしれません」
 思案顔の私に、松下がそう助言してくれた。
「そうだな。事情も聞かずに決めつけるのは良くないと思う」
 私も同意する。不服そうな顔の矢沢は、大方「不良の言い分など聞く必要はない」などと思っているのだろうが。
「じゃあ坂上さん、そっちはお願いできます? 倉庫はあたし達が調べて来るから」
「ああ、頼む。あいつらは大勢で詰め寄ると臍を曲げそうだからな。私一人で十分だ」
 伊藤の申し出に、私は頷き返した。
 ふと、松下が残念そうな顔をしているのに気付く。どうやら私に同行したかったらしい。岡崎には隠れファンが多いと聞くので、多分その口だろう。
 その後、二三の確認事項を済ませて、定例会はお開きになった。私は役員の皆と別れ、一人別行動を取ることにした。

 しかし、あまり気乗りしない役目ではある。
 何しろ、友人に対して事情聴取をするようなものだ。訊かれる方もいい気はしないだろうし。
 生徒会長はこんな面倒なことまでしなければならないのだろうか。人に指図する立場である以上、多少恨まれたりすることもあるだろうとは覚悟していたが。
 連中は帰宅部だから、いっそ既に下校していたら訊問などしなくて済む――などという後ろ向きの期待はあっさりと裏切られた。中庭に、これ以上ないほど目立つ金髪男の後ろ姿が見えたのだ。
 春原はなにやら女生徒二人に対して懸命に訴えかけているようだった。私がそちらに近づいていくと、奴の声が聞こえてくる。
「――だから、痛いのは最初だけだって。すぐに気持ちよくなるよ、僕のテクでさっ」
(……)
 私は無言でその尻を蹴飛ばした。
「ひぎっ!」
 妙な声を上げて春原は植え込みの奥へと消えた。半泣き状態の女生徒達に頷いてみせると、二人は礼を言って足早に去っていった。
 ふぅ、とため息を一つ。そこへ、がさがさと音を立てて、腰を押さえた春原が植え込みから這い出てきた。
「いつつっ……誰だっ! 僕のケツ、危うく割れちゃうところだっただろ――って、智代……さん……」
 最初は威勢の良かった台詞が、私の顔を見たとたん尻すぼみになる。
「お望みなら、四分割でも八分割でも好きなだけ割ってやるぞ」
「はは、遠慮しとく……」
 春原は冷や汗を浮かべながら私の申し出を辞退した。
「それにしても、校内で堂々と女生徒にいかがわしいことをしようとは、いい度胸だな」
 睨み付けると、春原は慌てて首を横に振る。
「ち、違うって! あれはマッサージをしてやろうって誘ってただけだっ」
「マッサージ? そんな特技があったのか」
「ああ。昨日岡崎に教えてもらったんだよ、タイ式全身マッサージって奴を。最初は痛いんだけど、そのうち目の前が真っ暗になって、気持ちよく寝られるんだ。『逆十字絞め』とかいうテクなんだぜっ」
 得意げに自慢する春原は、ある意味気の毒な奴だった。
「お前、騙されてるぞ。『逆十字絞め』はマッサージじゃなくて柔道の絞め技だ」
「えっ、嘘? マジ?」
 どうもこの二人は、仲がいいのか違うのかさっぱり分からなかった。
 春原はしょっちゅう岡崎にからかわれているのに、あまり気にした風でもない――馬鹿だからかもしれないが。岡崎は岡崎で、停学の巻き添えを食らいながらもあまり怒ってはいないようだし。
 まあ、いずれにしても春原に下心がなかったはずはないから、未然に防ぐことができたのは良かったと言えるだろう。気の小さいこの男に、実行できたかどうかはともかく。
「そんなことよりも、だ。お前達が停学中に墓地で乱闘をしていたという話があるんだが、本当なのか?」
 本題に入ると、とたんに春原が引きつった笑みを浮かべた。
「な、何のことかさっぱり……」
「岡崎もその場にいたんだろう?」
 更に問いかけると、春原はムッとなった。
「そもそも岡崎の奴が悪いんだよっ。あいつが有紀寧ちゃんにエロいことをするから、僕らは岡崎をちょっとシメてやっただけだ」
「有紀寧――と言うと、二年の宮沢のことか」
 彼女が、乱闘の場に居合わせたという女生徒なのだろう。
 宮沢はある意味、この学校で岡崎達に次ぐ問題児だ。本人は至って素直な子だと聞くが、その取り巻きの方が問題らしい。私も資料室で出くわしたことがあるから、その意味は理解している。
 それに、その『エロいこと』とやらも聞き捨てならなかった。春原の言うことだから割り引いて考える必要はあるだろうが……。
 と、私が思案しながら視線を外したその瞬間を狙って、春原は脱兎のごとく走り出した。
「あ、おいっ。待て!」
「誰が待つかっての! あとは岡崎に聞けよっ」
 たちまち春原の姿が見えなくなる。
「まったく、仕方のない奴だ……」
 まあ、いずれにしても岡崎と宮沢にも話を聞くべきだろう。とりあえず春原のことは後回しにして、私は二人に会いに行くことにした。
 宮沢は資料室に入り浸っているようだし、岡崎をその場で見かけたこともある。そこに二人がいるのか確認してみようと思い、私は中庭を横断して旧校舎へ近づいた。そして――
「そこに隠れている奴、出て来い」
 ――強い気配を感じた私は、立ち木に向かって声を放った。
「……」
 のそり、と影からガタイのいい男が姿を現す。この学校の生徒ではない。
 私はその顔に見覚えがあった。いわゆる不良の一人だが、かなり骨のある奴だ。多分、宮沢の関係者なのだろう。
「部外者がここで何をしている?」
 尋ねると、男は妙に情けない顔をして、
「俺だってこんなとこに隠れてたかねぇぜ……」
 と吐き捨てた。
「どういう意味なんだ?」
「こっちの話だ。……で、おめぇこそ何の用だ、智代」
 逆に問い返される。
「私は生徒会長として、少し岡崎と宮沢に話を聞きに来た」
「生徒会長? おめぇが? 世も末だぜ」
 思いっきり呆れられてしまった。昔の私を知る者なら、そういう反応も仕方がない。
「私だって昔とは違うんだぞ。少しは成長したつもりだ――それより」
 言葉を切り、改めて問い直す。
「岡崎が停学中に墓地で乱闘を行ったという話が出ている。宮沢がその場にいたとも。それが少し問題になっているんだが、お前は何か知らないか?」
 私の質問に、男は顔をしかめた。
「……知ってるぞ。俺もそこにいたからな」
「良かったら話を聞かせてくれないか。できれば処分など下したくはないんだ」
 男は「何で俺が……」と苦虫を噛み潰しながらも、渋々話し始めた。
「あの日は有紀寧の兄貴の命日だったんだ。それで仲間が連れ立って墓参りに、な。有紀寧は早退届を出しているし、連中もいくら停学中だからって墓参りぐらいは構わんと思うが」
「まあ、大丈夫だろうな」
 私が頷くと、男は続けた。
「それで、墓参りだから皆しんみりするだろ? そのとき岡崎の野郎が、『盛り上がるおまじない』と抜かして、こともあろうに有紀寧の唇を奪いやがったのよ」
「な……に?」
「有紀寧もまんざらじゃなかったみてえだったが、そうでなきゃ今頃生きてねぇぞ、あいつは。まあ、そのせいで少々荒っぽく小突き回されたわけだが、避けはしたものの反撃してこなかったから乱闘とは言えねぇな――金髪だけはボコり返されてたみたいだが」
「そう……か」
 反応が鈍いことに訝しんだ男は、私がショックを受けていることにようやく気付いたようだった。
「ははぁ。おめぇ、さては……」
「……悪いか? 私だって女の子なんだ。思いを寄せる相手がいたって不思議じゃないだろう」
 男はなにやら奇妙なものを見るような目を私に向けた。私の周りにいる連中は、どうしてこう失礼な奴ばかりなのだろうか。
「ともかく、資料室に岡崎と宮沢はいるのか? できれば本人にも話を聞きたい」
 私が窓に近づこうとすると、男が押し止めるような仕草をした。
「いることはいるが……今は止めとけ。おめぇが岡崎に惚れてたんなら尚更だ」
「どうして? 見られるとまずいようなことでもしているのか?」
 それはそれで問題だ。
「いや、そういうんじゃねぇ……。しかし、だな」
 妙に歯切れが悪い。私は男を押しのけると、窓から室内を覗き込んだ。
「……」
「だから、言っただろうが」
 男の言葉に、私は首を左右に振った。どういう意味なのかは自分でも良く分からなかったけれども。
 黄金色を帯び始めた太陽の光が、資料室の床に四角い日だまりを作っている。その光が当たらない暗がりで、岡崎は椅子に腰掛けていた。
 そして、宮沢有紀寧がその膝に頭を乗せ、安らいだ表情で眠っている。
 岡崎の手のひらが宮沢の頭に優しく添えられていた。穏やかに目を閉じた岡崎自身も、きっと寝てしまっているのだろう。斜に構えた普段の面影はそこにはなく、年相応の少年らしいあどけなさを垣間見せている。
 優しく、静かな時が資料室の中に漂っていた。放課後の部活動をしている生徒達の喧噪も、ガラスで隔てられた室内には届かない。
 自分の頬が緩むのを感じた。
「……可愛らしいんだな、二人とも」
 隣にいる男が、鼻を鳴らす。
「こんなのを見せつけられちゃ、ズカズカ入っていけねぇぜ。……ったく、忌々しいったらありゃしねぇ、あの岡崎って野郎は」
 憎まれ口を叩きながらも、男の口元には微かに笑みが浮かんでいた。
 私は二人から視線を外すと、窓の下にしゃがみ込んだ。芝生から立ち上る草いきれを胸一杯に吸い込む。
「……岡崎は、な」
「あん?」
「岡崎は、ああ見えて相当なお節介なんだ。普段の言動からは想像できないかもしれないが」
「……ほぉ」
 私の言葉に、男が律儀に相槌を打つ。
「だから、世話を焼かれた女の子は誤解してしまうんだと思う」
「なるほどな」
 男はそう言って煙草をポケットから取り出そうとし、私に睨まれて止めた。代わりに言葉を続ける。
「なら、有紀寧も同じようなもんだ。あいつは天然だから、自分に向けられた好意の意味に気付きゃしねぇ」
「じゃあ、似た者同士、お似合いの二人というわけか」
「ああ、そうかもしれねぇな」
「ははは……」
 こみ上げてきた笑いを、そのまま風に乗せる。室内の二人を起こしてしまわないよう、あくまで小さな声で。
 私の恋は形になる前に消えてしまった。少しだけ寂しくはあるが、あまり苦しい気持ちにはならなかった。そんな恋の終わりがあってもいいんだろう。
 私は立ち上がり、スカートを軽くはたいた。
「それじゃ、私はもう行くとしよう」
「で、岡崎の件はどうするつもりなんだ?」
 尋ねてくる男に、私は頷き返した。
「宮沢には折を見て尋ねてみるつもりだが、基本的にお前の話は信用できると思う。岡崎は素直に答えそうにないから、聞くだけ無駄だろうしな」
「話が分かるじゃねぇか。生徒会長さんよ」
 ニヤリと笑う男に、私は肩を竦めてみせた。
「会長なんて、そんなに大したものじゃないぞ。面倒ごとばかり押しつけられる雑用係みたいなものだ。でも……」
 私は空を仰ぎ見る。金色に染められたふわふわの雲が、ゆっくりと風に運ばれて動いていくのが分かった。夏を予感させる、暖かい風によって。
「困っている友達を助けられるのなら、それも悪くない。そう思わないか?」
 多分、やりたくないことや面倒なことはこの先もたくさんあるだろう。けれど、私の働きが誰かの助けになるんだとしたら、頑張れる。
 それに、なんと言っても私には目標があるのだから。それを叶えるまでは弱音を吐いてなんかいられない。
 男は両手をズボンのポケットに突っ込み、口の端をわずかに持ち上げた。
「いい女になったな、智代」
「私もそう思う。意中の相手に伝わっていたら、もっと良かったんだが」
 私も男に笑い返す。
「じゃあな」
「おう」
 挨拶を交わして、私は倉庫の方へ向かって歩き出した。あまり時間はかからなかったので、きっとまだ役員達が作業をしているだろうから。
 そのとき、ふいに視界がぼやけ、自分が目尻に涙を浮かべていることに気付いた。さほど悲しくはなかったはずなのにどうしてだろうと考え、そして私は理解した。
 それは決別の涙だった――あり得たかもしれない時間との。
(思っていたより女の子らしいのかもしれないな、私は)
 内心、そう苦笑する。
 私は浮かんだ雫を指の甲で拭った。頬を撫でる風が、残りの涙を彼方へと連れ去ってくれる。それは、雲を運んでいたのと同じものだろうか。
 風が流れていく先を、しばし見つめた。涙の分だけ軽くなった気持ちとともに。
 そして私は踵を返し、自分の役目を果たすためにまた足を踏み出す。

Fin.